ジクロロ酢酸ナトリウムの抗腫瘍効果
がん細胞のミトコンドリアを活性化してアポトーシスを誘導
【細胞内でのエネルギー産生過程】
細胞を働かせる元になるエネルギーは、栄養として食事から取り入れたグルコース(ブドウ糖)を分解してATPを作り出すことによって得ています。ATPはアデノシン3リン酸(Adenosine Triphosphate)の略語で、エネルギーを蓄え,供給する分子としてエネルギーの貨幣としての役割を持っています。
ヒトの血液中にはおよそ80~100mg/100mlのグルコースが存在します。グルコースは血液中から細胞に取り込まれ、1)解糖(glycolysis)、2)TCA回路(クエン酸回路やクレブス回路と呼ばれる)、3)電子伝達系による酸化的リン酸化をへて、二酸化炭素と水に分解され、エネルギーが取り出されます。脂肪や蛋白質も分解されてアセチルCoAを介してエネルギー産生に使われます。
解糖はグルコースがピルビン酸になる過程で、この酵素反応は細胞質で行われます。ピルビン酸は酸素の供給がある状態ではミトコンドリア内に取り込まれて、TCA回路と電子伝達系によってさらにATPの産生が行われます。酸素の供給が十分でないとピルビン酸は細胞質で乳酸に変わります。この状態を嫌気性解糖と言います。運動をして筋肉細胞に乳酸が貯まるのは、酸素の供給が不足して嫌気性解糖が進むからです。。
酸素が十分にある状態では、ミトコンドリア内で効率的なエネルギー生産が行われます。 すなわち、ミトコンドリアの基質に取り込まれたピルビン酸は、ピルビン酸脱水素酵素によって補酵素A(CoA)と結合してアセチルCoAになり、さらにアセチルCoAは、TCA回路に入ってNADHやFADH2が生成されます。この酵素反応はすべてミトコンドリアの基質で行われます。こうして生成されたNADHとFADH2は、ミトコンドリア内膜に埋め込まれた酵素複合体に電子を渡し、この電子は最終的に酸素に渡され、まわりにある水素イオンと結合して水を生成します。このようにTCA回路で産生されたNADHとFADH2の持っている高エネルギー電子をATPに変換する一連の過程を酸化的リン酸化(oxidative phosphorylation)と呼び、これらの酵素反応をおこなうシステムを電子伝達系(electron transfer system)と呼びます。こうして作られたATPはミトコンドリアから細胞質へ出て行き、そこで細胞の活動に使われます。 (下図)。
図:糖質が分解されて体内に摂取されたグルコースは、細胞内で解糖系によってピルビン酸に変換され、酸素がある条件ではミトコンドリアでピルビン酸はアセチルCoAに変換され、TCA回路と電子伝達系における酸化的リン酸化によってエネルギー(ATP)を産生している。 酸素が無い条件では、ピルビン酸は乳酸に変換される。これを嫌気性解糖という。酸素を使った酸化的リン酸化では1分子のグルコースから32分子のATPを産生できるのに、嫌気性解糖系では2分子のATPしか産生できません。(注;酸化的リン酸化で生成するATPの量は1分子のグルコース当たり30〜38分子といろんな説があり確定していませんが、ここでは米国の生物学の教科書の”Life:the Science of Biology”の記述に準拠して32分子にしています)
脂肪や蛋白質も脂肪酸やアミノ酸が分解してアセチルCoAになってエネルギー産生に利用される。
【がん細胞はミトコンドリアの働きを抑制している】
上記のように、細胞は酸素呼吸によってミトコンドリアにおけるTCA回路と電子伝達系における酸化的リン酸化によって、グルコースから効率的にエネルギー(ATP)を産生しています。
一方、酸素がない状態では、細胞質にある嫌気性解糖系(グルコースを嫌気的に分解して乳酸を生成する代謝系)によってエネルギー(ATP)が産生されます。
さて、約80年も前に、オットー・ワールブルグ(Otto Warburg)博士は、がん細胞では酸素が十分に供給されている状況でも、ミトコンドリアにおける酸化的リン酸化によるエネルギー産生が低下し、細胞質における嫌気性解糖系を介したエネルギー産生が増加していることを発見しました。
これをワールブルグ効果と言いますが、その理由については、いろんな説があり、議論されています。
がん細胞がグルコースを大量に消費することは良く知られています。がん細胞を検出するPET検査は、がん細胞がグルコースを正常細胞よりも大量に消費する現象を利用しています。
PET(ポジトロン・エミッション・トモグラフィー:陽電子放射断層撮影)は、がん細胞がグルコースを多く取り込む性質を利用し、放射性核種で標識したグルコース類似体を多く取り込んだがん組織を画像として描出する検査法です。
グルコースを大量に消費するのに、なぜ効率的なエネルギー産生系であるミトコンドリアの酸化的リン酸化を使わずに解糖系を使うのか、不思議に思われていました。
ミトコンドリアで効率的にエネルギー産生を行う方が、細胞の増殖にもメリットがあると考えられるからです。 この疑問に対する合理的な考えとして、がん細胞は自分が死ににくくなる(アポトーシスに抵抗性になる)ためにミトコンドリアにおける酸化的リン酸化をあえて低下させているという考えが発表されています。 細胞分裂しない神経や筋肉細胞を除いて、正常の細胞は古くなったり傷ついたりするとアポトーシスというメカニズムで死にます。このアポトーシスを実行するときに、ミトコンドリアの電子伝達系や酸化的リン酸化に関与する物質が重要な役割を果たしています。つまり、がん細胞ではアポトーシスを起こりにくくするために、あえてミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を抑制するメカニズムが働いているということです。
アポトーシスが起こりにくくするためにミトコンドリアにおける酸化的リン酸化を抑え、必要なエネルギーを細胞質における解糖系に依存しているという様に解釈できると言うことです。
さらに嫌気性解糖系の亢進は、核酸合成や脂肪酸合成に必要な中間代謝産物を増やすことによって、細胞の増殖に必要な細胞成分を増やすことができます。嫌気性解糖系の亢進によって産生される乳酸と水素イオン(H+)は、がん組織を酸性(アシドーシス)にします。がん細胞自体はこのようなアシドーシスの状態で増殖できるように適応していますが、周囲の正常組織にはダメージを与え、がん細胞の増殖や浸潤に有利に働くという考えもあります。
つまり、様々な理由で、がん細胞で嫌気性解糖系が亢進すること(ワールブルグ効果)は、がん細胞の増殖に有利に働くことになるのです。
そして、最近の研究によって、がん細胞におけるミトコンドリア内での酸化的リン酸化を活性化する(結果として嫌気性解糖系の活性が低下する)と、がん細胞のアポトーシス(細胞死)が起こりやすくなることが報告されています。
がん細胞の増殖に有利に作用している嫌気性解糖系の亢進を正常化させると、がん細胞にとっては都合が悪くなるということです。 がん細胞の酸化的リン酸化を活性化する薬として、ピルビン酸脱水素酵素を活性化するジクロロ酢酸ナトリウム(DCA)やカフェインなどが知られています。 ジクロロ酢酸ナトリウムでミトコンドリアを活性化すれば、がん細胞が死にやすくなるという実験結果が報告されており、動物実験や臨床試験で抗腫瘍効果が確認されています。
図:がん細胞では解糖系が亢進しミトコンドリアの機能は抑制されている。ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素複合体の活性を亢進してミトコンドリアの機能を亢進する。その結果、がん細胞はアポトーシスを起こしやすくなる。
【ジクロロ酢酸ナトリウムとは】
ジクロロ酢酸ナトリウム
ジクロロ酢酸ナトリウム(sodium dichloroacetate)は酢酸(CH3COOH)のメチル基(CH3)2つの水素原子が塩素原子(Cl)に置き換わったジクロロ酢酸(CHCl2COOH)のナトリウム塩です。構造式はCHCl2COONaになります。 ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってピルビン酸脱水素酵素の活性を高める作用があります。 ミトコンドリアの異常による代謝性疾患、乳酸アシドーシス、心臓や脳の虚血性疾患の治療などに、医薬品として古くから(25年以上前から)使用されています。
【ジクロロ酢酸ナトリウムの服用法】
1日分を1回(朝)か2回(朝と夜)に分けて服用します。
がん治療の場合は1日に体重1kg当たり10~15mgを服用します。体重60kgの人で600mg~900mgになります。 粉末を量って、水に溶かして服用します。(錠剤やカプセルの製品も販売されています)
胃に刺激になるため、食後の服用が推奨されます。
当クリニックでは1g用のスプーンを使用しています。スプーンで量を測定するのは大雑把な方法で正確な量が得られないのですが、ジクロロ酢酸ナトリウムは安全性が高く、1日量が500~1000mgの間のおおよその服用量で問題はありません。
ジクロロ酢酸ナトリウムは熱で分解しやすいので、熱水に溶かすことはできません。 ジクロロ酢酸ナトリウムを服用するとピルビン酸脱水素酵素の活性が上がるとともに、ビタミンB1が消費されるために長期投与ではビタミンB1欠乏になりやすくなります。そこでジクロロ酢酸ナトリウムと同時にビタミンB1投与が必要です。
ジクロロ酢酸ナトリウムの体内での半減期は約24時間ですので、1回服用したジクロロ酢酸ナトリウムが体内からほとんど排泄されるのに数日かかります。したがって、毎日服用すると少しづつ体内に蓄積して副作用が起こりやすくなります。高齢者では体内での代謝(分解と排泄)が遅くなる傾向にあります。 がんの進行状況や体調などによって、1日の服用量や1週間の服用回数などを調節します。1日おきの服用や、1週間のうち5日間服用して2日間休むというような服用法を考慮します。
副作用と思われる症状が現れたときは、その症状が消失するまで服用を中断します。副作用が消失した後、少量から再開します。
ジクロロ酢酸ナトリウムの体内濃度を急速に上げたり中断するより、低用量を長期間にわたって服用する方が良いようです。
腫瘍の縮小がみられた場合は、ジクロロ酢酸ナトリウムの量を体重1kg当たり1日2~3mgに減らし、ビタミンB1を併用する維持療法が試されています。
緑茶、紅茶、コーヒーを1日5~10杯くらい飲用するとDCAの効果が高まるという意見があります。これはカフェインによる効果であることが推測されています。
さらにビタミンB1を1日500~2500mg服用するとDCAの効果が高まることが報告されています。注意:脳腫瘍の患者は、DCAとカフェインの併用した治療で、致命的な副作用が起こりやすいという報告があります。これは脳内に多く発現しているアデノシン受容体がカフェインと反応することと関連があると推測されています。したがって、脳腫瘍の場合は、DCAの服用量は10mg/kg以下に減らし、DCAを服用中はカフェインを含んだお茶やコーヒーを飲用しないようにすることが大切です。グリオブラストーマ(glioblastoma)の場合は1日量4mg/kgという極めて低い用量でも痙攣や死亡といった副作用が発生していますので、DCA治療は安全性がはっきりするまでは、脳腫瘍の場合はDCAの使用は行わない方が良いと思います。(この意見に反対する報告もあります)
【ジクロロ酢酸ナトリウムの副作用】
ビタミンB1欠乏による末梢神経障害が起こりやすいので、ビタミンB1を補充して予防します。末梢神経障害が強いときはジクロロ酢酸の服用を中断します。
大量のジクロロ酢酸ナトリウムを服用するとがん細胞の急激な壊死によって、高尿酸血症、高カリウム血症、代謝性アシドーシス、腎不全などの症状(腫瘍融解症候群、Tumor Lysis Syndrom)が起こることがあるので、低用量から開始し、副作用の状況をみながら少しづつ増量する方法が推奨されています。腫瘍融解症候群は悪性リンパ腫や白血病でみられやすいので、これらの腫瘍の場合は特に注意が必要です。
妊娠中は服用できません。胎児の奇形が発生する危険があります。
【ジクロロ酢酸ナトリウムは乳がんの増殖・転移を抑制する】
ジクロロ酢酸ナトリウムが乳がんの増殖と転移を抑制する効果を示す動物実験の研究結果が報告されています。
Resersal of the glycolytic phenotype by dichloroacetate inhibits metastatic breaset cancer cell growth in vitro and in vivo.(ジクロロ酢酸ナトリウムによる嫌気性解糖系の抑制は、培養細胞および動物移植腫瘍を使った実験系の両方において転移性乳がん細胞の増殖を阻害する)Breast Cabcer Res Treat. 120:253-260, 2009
(要旨) 乳がんを含め多くの固形がんにおいて嫌気性解糖系が亢進している。ジクロロ酢酸ナトリウムはピルビン酸脱水素酵素キナーゼを阻害することによってがん細胞の嫌気性解糖系を抑制し、副作用が少なく抗腫瘍効果を示すことが報告されている。高度に転移性の性質をもった乳がん細胞を用いた動物実験モデルで、乳がん細胞に対するジクロロ酢酸ナトリウムの抗腫瘍効果を検討した。 細胞培養の実験系(in vitro)において、数種類の培養乳がん細胞株に対してジクロロ酢酸ナトリウムは増殖抑制効果を示した。高転移能を持つラットの乳がん細胞(13762MAT)を移植した動物実験モデルで、ジクロロ酢酸ナトリウムは増殖を抑制し、肺への転移巣の数を58%減少させた。 以上の実験結果より、ジクロロ酢酸ナトリウムは乳がん細胞の増殖を抑制し、アポトーシス(細胞死)を誘導する効果を持ち、高度に転移性の乳がん細胞に対しても抗腫瘍効果を示すことが明らかになった。
【ジクロロ酢酸ナトリウムは抗がん剤の治療効果を高める】
ジクロロ酢酸ナトリウムはがん細胞における機能低下したミトコンドリアを活性化してアポトーシス(細胞死)を起こしやすくします。 動物実験では、ジクロロ酢酸単独で腫瘍の著明な縮小が観察されていますが、人間の腫瘍の場合は、ジクロロ酢酸ナトリウム単独では、腫瘍を縮小させる効果には限界があるようです。
しかし、がん細胞を殺す作用をもった医薬品と併用すると、がん細胞のアポトーシス感受性を高めるジクロロ酢酸ナトリウムの効果によって、腫瘍の縮小効果が高まる可能性があります。抗がん剤の効き目(感受性)を高める効果が報告されています。
がん細胞のエネルギー産生は細胞質における嫌気性解糖に依存しているため、解糖系酵素を阻害する薬はがん細胞をエネルギー枯渇に陥らせて殺す作用が期待できます。
解糖系を阻害する2-デオキシ-D-グルコースやメトホルミンなどとの併用で抗腫瘍効果が高まることが指摘されています。
がんの漢方治療で使用される半枝蓮(ハンシレン)は、解糖系酵素を阻害することが報告されています。 さらに、がん細胞に多く含まれる鉄と反応してフリーラジカルを発生してがん細胞を殺すアルテスネイトを併用すると、がん細胞内での酸化障害の亢進によって、がん細胞を殺す作用が増強できます。
以上のことからジクロロ酢酸ナトリウム、アルテスネイト、半枝蓮を組み合わせると相乗効果でがん細胞を殺す効果が期待できます。
(ピルビン酸脱水素酵素の補酵素のαリポ酸や、脂肪酸合成を阻害するガルシニア・カンボジアを併用すると、抗腫瘍効果をさらに高めることができます。詳しくはこちらへ)
図:解糖系を阻害する半枝蓮、ミトコンドリアを活性化するジクロロ酢酸ナトリウム、がん細胞内に多く含まれる鉄と反応してフリーラジカルを産生するアルテスネイトを組み合わせるとがん細胞を死滅できる。
ジクロロ酢酸ナトリウムは30日分(30g)を12000円で処方してます。
ご質問やお問い合わせはメール(info@f-gtc.or.jp)か電話(03-5550-3552)でお願いします。