魚のメチル水銀汚染について
【メチル水銀は子供の脳の発達を損なう】
食物連鎖のスタートは海の植物プランクトンです。植物プランクトンは小魚に食べられ、小魚は大型魚に食べられます。大型魚が死ぬと腐敗して植物プランクトンに食べられ、これが海の生物の一つの食物連鎖を構成していました。
昨今の環境汚染によって、有毒なミネラルが大型に魚に蓄積しているという問題が浮上しています。
日本の厚生労働省や米国食品医薬品局は、マグロなどの大型魚に水銀濃度が高い例をあげ、妊婦や子供は食べないようにと呼びかけています。
長鎖多価不飽和脂肪酸のドコサヘキサエン酸(DHA)の豊富な食事は、過去100万年から200万年の間における人類の知能の急速な発達を維持するための絶対的な要件でした。 人類の脳は、DHAを多く含む魚を食べるようになって大きくなったと考えられています。
DHAは人間の体内でほとんど合成できませんが、中枢神経系と網膜の主要な構造脂肪酸であり、その利用可能性は脳の発達に不可欠です。 胎児および乳児の発育の段階でのDHAの欠乏は、脳の発達を損なう原因となっています。
DHAはDHA摂取の少ない母親の乳児は、精神運動機能や立体視力の発達における異常が多くみられることが示されています。DHAの摂取不足は子供の自閉症スペクトラム障害や広汎性発達障害と関連していることが指摘されています。英国脳栄養化学研究所の教授マイケル・クロフォード博士は「日本人の子供が欧米人の子供と比較して知能指数が高いのは、日本人が昔から魚を多く食べてきた食習慣によると考えられる」と1989年に発表して話題となりました。
さらに、DHAはがんや循環器疾患の予防や治療に有効です。認知症やアルツハイマー病などの有効な治療法の無い神経変性疾患の改善にも効果が期待できます。 したがって、DHAの摂取を増やす目的で魚を多く食べることは、脳機能の発達促進や健康増進や多くの病気の予防に役立ちます。
しかし一方、海洋汚染の進行によって、メチル水銀やマイクロプラスチックなど有害物質が魚に蓄積し、魚の多食の危険性も指摘されています。 水俣病は、メチル水銀化合物に汚染された魚介類を長期間たくさん食べることによって起きる中毒性の神経系疾患です。発生源は化学工場で、工場排水に含まれていたメチル水銀が海や川に流れ出し魚などに蓄積し、それを食べた人が発症しました。
メチル水銀は毒性が強く、血液により脳に運ばれ、やがて人体に著しい障害を与えます。また、母親が妊娠中にメチル水銀を体内に取り込むと、胎児の脳に障害を与えることが明らかになっています。
魚は自然界に存在する水銀を食物連鎖の過程で体内に蓄積するため、日本人の水銀摂取の80%以上が魚介類由来となっています。魚摂取が増えるとメチル水銀の体内摂取が増え、胎児の脳の発育に悪影響を及ぼすことが明らかになり、厚生労働省は平成15年(2003年)に妊婦の魚摂取に関する注意事項を公表しています。つまり、妊婦や小児では魚は多く食べてはいけない食品になっています。 しかし、妊婦や小児のDHA摂取量が減ると、脳の発達が障害されるというジレンマが発生します。
【気候変動は魚の有機水銀汚染を加速している】
現在、人間の活動の直接の結果として、毎年推定2,220トンの水銀が環境に放出されています。これらの排出量は、現在の水銀排出量全体の約30%を占めています。現在の水銀排出量の約60%は、以前に土壌や水に堆積した人為的水銀の環境リサイクルに起因しています。残りの10%は火山などの自然源から来ています。
石炭の燃焼と「職人による小規模の金採掘」は、現在の水銀排出の2つの主要な人間の発生源です。すべての石炭には水銀が含まれており、石炭が燃やされると、水銀は大気中に放出され、最終的には川、湖、海に沈殿するまで長距離を移動することができます。
職人による小規模の金採掘では、水銀を使用してアマルガムを形成し、金を岩石から分離します。アマルガムは加熱されて水銀を沸騰させ、金を残します。この際、気化と流出した水銀の水路への流出によって水銀が環境に放出されます。
これらの発生源から環境に放出された無機水銀は、河川や湖や海では、海洋微生物によって強力な神経毒性物質である有機形態の水銀であるメチル水銀に変換されます。 食物連鎖のなかでメチル水銀が生物濃縮され、私たちが食べる魚を汚染します。魚のメチル水銀濃度が年々増えていることが報告されています。
石炭火力発電所が減って来たアメリカやヨーロッパに囲まれる北大西洋でクロマグロの水銀汚染が改善されてきたことが報告されています。 しかし一方で、温暖化によって降雨量が増え、地上にある自然有機物が水の流れを通して海へと移動し、魚の水銀汚染が増えていることが指摘されています。
以下のような論文があります。Climate change impacts on pollutants mobilization and interactive effects of climate change and pollutants on toxicity and bioaccumulation of pollutants in estuarine and marine biota and linkage to seafood security(気候変動が汚染物質の移動に影響を及ぼし、河口および海洋生物相における汚染物質の毒性と生体内蓄積における気候変動と汚染物質の相互作用と、シーフードの安全性との関連)Mar Pollut Bull. 2021 Jun;167:112364.
【要旨】
この論文では、気候変動ストレス要因(温度、海洋酸性化、海面上昇、低酸素症)が河口および海洋生物相(藻類、甲殻類、軟体動物、サンゴ、魚)に与える影響の概要を説明する。 また、河口および海洋生物相における汚染物質の移動、汚染物質の毒性(成長、繁殖、死亡率への影響)および汚染物質の生体内蓄積に対する可能性のある相互作用の影響(気候変動ストレッサーと汚染物質の複合影響)を評価した。
気温の上昇と極端な出来事は、河口と海洋環境における疎水性と親水性の両方の汚染物質の放出、分解、輸送、および移動を促進する可能性がある。 入手可能な汚染物質の毒性傾向データと情報に基づいて、いくつかの高リスク汚染物質の毒性は、気候変動ストレス要因のレベルの増加とともに増加する可能性があることが明らかになった。
気候変動と汚染物質の相互作用の影響は、シーフード生物における汚染物質の生体内蓄積を促進する可能性がある。 気候変動と汚染物質の現実的な相互作用の影響に関する文献は不足している。したがって、将来の研究は、河口と海洋生物相に対する気候変動のストレッサー要因と汚染物質の複合効果に向けられるべきである。河口および海洋生物相を保護するには、温室効果ガスの排出(気候変動を引き起こす)と化学汚染物質の両方によって引き起こされる汚染防止のための持続可能な解決策が必要である。
地球温暖化は降雨量を増やし、汚染物質の陸から水への移動を促進し、河口および海洋生物相における汚染物質が増え可能性があります。つまり、温暖化の影響で近海魚に水銀汚染が進む可能性を指摘しています。 以下のような論文もあります。
Terrestrial discharges mediate trophic shifts and enhance methylmercury accumulation in estuarine biota.(陸域の排出物は、栄養シフトを媒介し、河口生物相におけるメチル水銀の蓄積を促進する)Sci Adv. 2017 Jan 27;3(1):e1601239.
スウェーデンの研究者たちが地球温暖化で進む近海の水銀汚染について報告しています。 この論文によれば、温暖化によって降雨量が増え、地上にある自然有機物が水の流れを通して海へと移動します。海水に移動する自然有機物は今世紀末までに15%~20%増えるとされ、移動した自然有機物のなかには水銀も含まれます。それが微生物によって水俣病の原因となったメチル水銀へと変化します。食物連鎖のなかでメチル水銀が生物濃縮され、私たちが食べる魚を汚染します。魚の水銀濃度がこれまでの7倍も増える可能性もあると指摘しています。
【培養した微細藻類由来DHAが注目されている】
がんや認知症や循環器疾患の予防や治療にDHAやEPAが有効であることは確立しています。従って、DHAやEPAの多い脂の乗った魚を多く食べることが推奨されています。
しかし、魚のメチル水銀やマイクロプラスチックなど海洋汚染に由来する有害物質の魚への蓄積の問題は、魚食を安易に推奨できないレベルまで深刻になっています。 そこで、海洋でDHAとEPAを作っている微細藻類を培養して、培養した微細藻類からDHAとEPAを取り出せば、汚染物質がフリーのDHA/EPAを製造できます。(下図)
図:オメガ3系多価不飽和脂肪酸のエイコサペンタエン酸(EPA)やドコサヘキサエン酸(DHA)は微細藻類が合成している(①)。プランクトン(②)が微細藻類を食べ、小型魚(③)がプランクトンを食べ、大型魚(④)が小型魚を食べるという食物連鎖によって、魚油にEPAやDHAが蓄積している。人間は魚油からDHAとEPAを摂取している(⑤)。環境中の水銀(⑥)が魚に取り込まれてメチル水銀になって魚に蓄積する(⑦)。DHAとEPAを産生している微細藻類をタンク培養して油を抽出すると(⑧)、汚染物質がフリーで、植物由来のDHA/EPAが製造できる(⑨)。
微細藻類の中でもDHA含有量が極めて多いシゾキトリウム(Schizochytrium sp.)をタンク培養してDHA/EPAを製造した製品が欧米で販売されています。閉鎖環境での培養のため、汚染の心配がありません。しかも、植物由来なので、菜食主義者(ベジタリアン、ヴィーガン)も摂取できます。今後、微細藻類由来のDHA/EPAの需要が増えると思われます。