生体の生理機能は昼夜常に同じ状態を保っているわけではなく、ほぼ1日を周期として変動しています。これを概日リズム(サーカディアン・リズム)といいます。私たちの体の中には体内時計があり、昼夜のサイクルに合わせながら、体の多くの機能に活動と休息のリズムを与えているのです。
ところが昼夜サイクルを無視した生活によって体内時計が乱れると、睡眠障害や倦怠感や胃腸障害などの体調不良を引き起こし、健康を悪化させる原因になります。さらに、乳がんの発生率を高めることも明らかになっています。
夜勤の多い看護師や、国際線の乗務員のように概日リズムが慢性的に乱れやすい職種の人では、他の職業の人に比べて、乳がんの発生率が高いことが報告されています。
例えば、乳がんの発生率を検討した疫学研究のメタ解析では、国際線の乗務員では70%、交代制勤務の職種では40%の乳がん発生率の上昇が認められています。(Naturwissenschaften 95: 367-382, 2008)
交代制勤務の仕事に3年間以上就いた50歳以上の女性では、乳がんの発生リスクが4.3倍になるという報告もあります。
世界保健機関(WHO)の付属組織で人間への発がんリスクの評価を専門に行っている国際がん研究機関(IARC)は、2007年に概日リズムを乱す交代制の仕事(shift-work)を、発がん作用の可能性がある(group 2A)と分類して発表しています。
【体内時計を調節するメラトニンが乳がんを予防する】
交代制勤務が乳がんの発生リスクを高める理由は複数の要因が関与していると考えられます。体内時計の乱れが内分泌系の異常を引き起こし、その結果、乳がんが発生しやすい可能性が指摘されています。
さらに、体内時計の調節に重要な役割を担っているメラトニンとの関連が指摘されています。メラトニンは脳の松果体から産生されるホルモンの一種で、その分泌は光によって調節されます。すなわち、目から入る光によってメラトニンの産生は少なくなり、暗くなると体内のメラトニンの量が増えて眠りを誘います。
夜間に強い光を受けるとメラトニンの分泌の低下を引き起こし、乳がんの発症に関与している可能性を指摘する「乳がん発生のメラトニン仮説」が提唱されています。盲目の人には乳がんが少ないという報告や、夜間勤務の人には乳がんが多いという報告があり、これらはメラトニンが多く分泌される状況にあると乳がんの発生が抑えられ、夜間勤務のようにメラトニンの分泌が抑えられると乳がんが発生しやすい可能性を示唆しています。
メラトニンは夜間に分泌が増えますが夜間に光を浴びるとメラトニンの産生量が低下します。夜間に白熱電球の光を39分間浴びるだけでメラトニンの産生量が半分に減るという報告があります。寝室の明かりをつけて寝ると乳がんの発生リスクが高くなるという意見もあります。
尿中のメラトニンの量の少ない人は乳がん発症率が高いことを示す研究結果が複数報告されています。その代表的な研究を以下に紹介します。
|
Urinary Melatonin Levels and Breast Cancer Risk.(尿中メラトニン量と乳癌リスク)
JNCI 97(14):1084-1087, 2005 |
米国で実施されている最大の疫学研究のNurses' Health Study (NHS)の中で、尿中のメラトニン量と閉経前乳がんの発症率を前向きコホート研究で検討。
浸潤性乳がんを発症した147人と健常者(コントロール群)291人について、早朝に採取した尿中のメラトニン代謝産物の6-sulfatoxymelatoninの量を比較した。
尿中のメラトニン代謝産物が多い上位25%の人は、少ない方から25%の人に比べて、乳がん発症の相対危険度(オッズ比)は0.59(95% 信頼区間, 0.36-0.97)と低下していた。これは統計的に有意な値であった。 |
|
Urinary melatonin levels and postmenopausal breast cancer risk in the Nurses' Health Study cohort.(看護師健康調査コホート研究における尿中メラトニン量と閉経後乳がん発症リスク)
Cancer Epidemiol Biomarkers Prev. 18(1): 74-79, 2009 |
Nurses' Health Study (NHS)の中での解析で、尿中のメラトニン量と閉経後乳がんの発症率を前向きコホート研究で検討した結果を報告。
健康な女性看護師18643人を対象に追跡し、乳がんを発症した357人と健常人533人について、尿中のメラトニン代謝産物の6-sulfatoxymelatoninの量を比較した。その結果、尿中のメラトニン代謝産物の量が多いほど、乳癌の発症率が低下することが明らかになった。
尿中のメラトニン代謝産物が多い上位25%の人は、少ない方から25%の人に比べて、乳癌発症の相対危険度(オッズ比)は0.62(95% 信頼区間, 0.41-0.95)と低下していた。これは統計的に有意な値であった。 |
|
Urinary 6-sulfatoxymelatonin levels and risk of breast cancer in postmenopausal women.(閉経後女性における尿中6-sulfatoxymelatoninレベルと乳癌リスク)J. Natl Cancer Inst. 100(12): 898-905,2008 |
閉経後女性の乳癌発症率と尿中のメラトニン量との関連を前向きコホート研究で調査。メラトニンの主要代謝産物の6-sulfatoxymelatoninの尿中排泄量を、追跡期間中に乳癌を発症した178人の閉経後女性と、条件の一致した710例のコントロール群と比較。その結果、尿中のメラトニン量が多いほど、乳癌の発症率が低下することが示された。
メラトニンの代謝産物である6-sulfatoxymelatoninの排泄量の多い上位25%の人は、少ない方から25%の人に比べて、乳癌発症の相対危険度(オッズ比)は0.56(95%信頼区間:0.33-0.97)に低下。この相対危険度は、非喫煙者では0.38(95%信頼区間:0.20-0.74)にさらに低下。尿を採取後4年以内に浸潤性乳癌を発症した症例を除いて計算すると、相対危険度は0.34(95%信頼区間:0.15-0.75)に低下した。
このリスク低下は乳がんのホルモン依存性の有無とは関係が認められなかった。
追跡調査した3966人のうち、6-sulfatoxymelatoninの尿中排泄量の多い上位25%の992人では調査期間中に40人が乳癌を発症したのに対して、排泄量の少ない下から25%の992人では56人が乳癌を発症した。 |
|
以上のように、多くの前向きコホート研究で、閉経前と閉経後のどちらにおいても、メラトニンの体内産生量が高いほど、乳がんの発症リスクが低下することが明らかになっています。つまり、体内のメラトニン産生量と乳がんの発症リスクが逆相関することを示し、メラトニンの乳がん予防効果を支持するものです。
メラトニンの分泌が少ないと女性ホルモン(エストロゲン)の分泌量が増えるので、乳がんの発生率が高くなるという意見もあります。さらに、メラトニン自体に様々な抗腫瘍効果があることが知られています。
【メラトニンの抗がん作用】
乳がんの予防や治療に関連して、メラトニンには以下のような効果が報告されています。
1) メラトニンには抗酸化作用があり、活性酸素によるダメージから細胞を保護します。メラトニンの抗酸化作用は、活性酸素だけでなく、一酸化窒素や過酸化脂質など様々なフリーラジカルを消去できることが特徴です。
さらに、グルタチオンペルオキシダーゼ、スーパーオキシドデスムターゼ、カタラーゼなどの細胞内の抗酸化酵素の活性を高める効果も報告されています。
2) メラトニンはがん細胞に対する免疫力を高めます。Tリンパ球や単球の表面にメラトニン受容体があり、メラトニンはこの受容体を介してリンパ球や単球を刺激して、インターフェロン-ガンマ(IFN-γ)やインターロイキン(IL)1,2,6,12などの免疫反応を増強するサイトカイの分泌を促進する作用があります。
IL-2の産生によってナチュラルキラー細胞が活性化されます。
メラトニンはリンパ球内のグルタチオンの産生を増やしてリンパ球の働きを高める効果が報告されています。メラトニンは免疫細胞を活性化するだけでなく、抗がん剤によるダメージからリンパ球や単球を保護する作用もあります。
ストレスによる免疫力の低下を抑え、感染症に対する抵抗力を高める効果が、動物実験で示されています。
3) メラトニンはがん細胞自体に働きかけて増殖を抑える効果も報告されています。
メラトニンには、腫瘍血管の新生やがん細胞の増殖、転移を阻害する作用が報告されています。
メラトニンは培養細胞を使った研究で、乳がん細胞のp53蛋白(がん抑制遺伝子の一種)の発現量を増やし、がん細胞の増殖を抑制することが報告されています。また、エストロゲン依存性のMCF-7乳がん細胞を使った実験で、エストロゲンとエストロゲン受容体の複合物が核内のDNAのエストロゲン応答部位に結合するところをメラトニンが阻害することによって、エストロゲン依存性の乳がん細胞の増殖を抑えることが報告されています。
動物実験でも、乳がんの増殖を抑える効果が示されています。
4) メラトニンは抗がん剤や放射線治療の副作用を軽減し、さらに抗がん剤や放射線による抗腫瘍効果を増強して生存率を高める効果が多くの臨床試験で報告されています。
ホルモン療法(タモキシフェン)を受けている進行した乳がん患者において、1日20mgのメラトニンの服用に延命効果があることが報告されています。
タキサン系抗がん剤を使った乳がん患者における末梢神経障害の副作用をメラトニンが軽減することが報告されています。
5) 手術前後に服用すると、創傷治癒を早める効果や、免疫力を高めて感染症を予防する効果も報告されています。
6) 末期がん患者に投与して、生存期間を延ばす効果が報告されています。
【規則正しい生活リズムは乳がんの発生や再発の予防に大事】
24時間行動可能な近代のライフスタイルは生体の概日リズムを乱す要素が多くなっており、乳がんの発生リスクとして体内時計の乱れが無視できなくなったことを意味しています。
概日リズムの乱れが再発を促進するかどうかに関する人間での証拠はまだありませんが、移植腫瘍を用いた動物実験では、電灯の照射時間を変えて概日リズムを乱すとがん細胞の増殖が促進されることが報告されています。また、概日リズムの乱れた生活は、体調不良や免疫力の低下の原因になりますので、乳がんの再発を促進する要因になることは十分に考えられます。
朝は日の出とともに起き、日中は適度に日光を浴び、夜間は夜更かしをせずに十分に睡眠をとるという健康的な生活リズムは、がん予防効果のあるビタミンDやメラトニンの体内産生を高めて、乳がんの再発予防にも効果があると常識的に理解できます。
仕事の関係で体内時計(概日リズム)の乱れが避けられない状況の場合は、メラトニンの利用が有効かもしれません。メラトニンは日本ではサプリメントとして認められていませんが、米国などから購入することは可能です。ただし、妊婦、授乳中の女性、自己免疫疾患(慢性関節リュウマチなど)や悪性リンパ腫や白血病など免疫細胞の腫瘍がある場合、ワーファリン服用中など、メラトニンの服用が良くない場合もありますので、十分な注意が必要です。
(銀座東京クリニックでは、医師の個人輸入した米国製のメラトニンを乳がんの再発予防や治療の補助として、処方薬として使用しています。)